白い参拝記 館氷川神社 【柏町3丁目】

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館氷川神社 【柏町3丁目】

■主祭神 : 素戔嗚尊
■創建 : 貞観年間(859-877)

東武東上線『柳瀬川駅』東側600メートル程の路地沿いに鎮座。柳瀬川を渡る「富士見橋交差点」を東に道なりに行くとたどり着けます。駐車場はありません。

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神社入り口。

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鳥居。渋くて良い感じ。

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拝殿。

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境内社、境松稲荷大明神。

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境内社、大国社・浅間社・八幡社・厳島社・熊野社・稲荷社。

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拝殿から境内を眺める。

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神社案内板。

当社は館之郷に属した五か村(館村・中野村・引又村・針ヶ谷村・北野村)の総鎮守として崇められ、「館のお氷川様」と呼ばれる。
館の地名は平安時代にこの地を領した藤原長勝の居館があったとこにちなんでいる。長勝は、沼に棲んでいた大蛇を退治し広大な田を開いたことから「田面長者」と称された。鎌倉時代には荏柄平太胤長・二階堂土佐守が相次いで居住し、室町期には大石信濃守により改築がなされた。その遺構は「柏の城」と呼ばれ、現在の志木第三小学校敷地が本丸、その東側が二の丸、南側が三の丸、西側の長勝院境内が西の丸と伝えられている。
この「柏の城」の空堀跡の南東にあるのが当社で、社伝によれば、貞観年間に藤原長勝が勧請したのに始まり、室町期には「柏の城」の守護神とされたという。このほかにも、延暦年間(1782-1806)に坂上田村麻呂が蝦夷征伐に向かう途中、賊徒に行く手を阻まれた際、大宮の氷川神社の加護によって賊徒を倒せた事から同社を勧請したという説や久安5年(1149)に新座郡の郡司高野大膳亮師之が郷村の鎮守として勧請したという説が伝えられている。いずれにしても平安期から鎌倉・室町期にかけて有力土豪により崇敬されていたことは間違いないだろう。
明治40年に字久保の村社白山社を始めとする15社が合祀された。


久保の白山社については志木市郷土史研究会編纂の『郷土志木』に記述があり、疱瘡(天然痘)に効用のある神社であった事が分かります。
下宗岡の氷川神社にも疱瘡神の石造遺物が存在し、また旧館村の久保の地にも効験のある白山神(疱瘡神)が祭祀されていた事が記録にあり、「1、白山神社地三畝拾五歩余、白山の神は昔より霊験あらた成る御神也。小児疱瘡の守護神といふ。」と『館村旧記』(享保14年)に記述があるように、市域においても疱瘡の流行を見たことを物語っている。
因みに、『館村神社明細帳』によると旧館村には二社の白山神社の存在が確認できましたが、どちらが久保の白山社か分かりませんでした。何れも祭神は伊弉諾命でした。

白山神社は現在、縁結びの神だとか虫歯に効く神様ですがかつては天然痘を防ぐ神として祀られる事があったようです。個人的に疱瘡神としての白山神社と言うと、まず台東区今戸の今戸神社に合祀されている白山神社を思い出します。
今戸の白山社の由緒を記した『白山大権現略縁起』によると、嘉吉元年、今戸の地を治めていた千葉之介胤直が勧請した神である事が分かります。
永享10年、胤直の三人の息子が疱瘡に罹ってしまいました。そこで千葉之介に仕えていた加賀の国守護職冨樫の次郎の家人の中森彦五郎という者が胤直の妻に「加賀の国白山大権現は霊験新たかで、聖武天皇の天平八年に国々で疱瘡が流行し、多数の死者が出たので最澄に祈念させたところ治まった」と伝え、それに習って加賀の白山に祈願したところ全快し、それに感動した胤直が領内に勧請したのです。

そのような事から、個人的には、各地にある白山神社はかつての天然痘との闘いの跡でもあるのかな、とも考えています。

さて、話は変わってちょっと余談になってしまいますが、今年の四月に館氷川神社を参拝した後、白山社のあった久保にも寄ってみたところ、住民の方々がなにやら祭事の準備らしき事を慌しくしていました。何のお祭りだろう?と気になって聞こうと思ったのですが忙しそうにしていたのと、自分も予定があって帰らなければならなかったので聞けずじまいでした。
悔しかったので志木の郷土資料を漁って何の祭りだったか調べていると(疱瘡神云々の話もその副産物)久保地区では4月に上尾市平方の八枝神社のお獅子様を借りてきて防災を願って祭りをしているそうです。
わざわざ上尾まで借りに行っているのか、と思いましたがかつては八枝神社のお獅子様は東京では志村・板橋・練馬・世田谷・清瀬・清戸、埼玉では江南村小江川・川越各町内・笹井(狭山)・入間川・扇町屋・所沢・日比田等にまで貸し出していたというから驚き。余程このお獅子様はご利益があったのでしょう。白山神社とはだいぶ離れてしまいましたが個人的に興味があるのでまた調べてみたいと思います。

無理やり話題を白山社に戻します。清戸と言えば、現在の清瀬市ですが久保にある観音堂で気になるものをみつけました。この観音堂は久保のお祭りの後にお礼参りをする場所でもあるのですが、ここには数々の小さい神社が祭られています。もしかしたらかつての白山社の境内社であったのかもしれません。その中の石碑や常夜灯に刻まれている奉納者の中に「下宿」の文字が目につきました。清瀬市下宿の事でしょう。下宿にも白山神社があり、刻まれた名前と下宿の白山社の氏子の姓も同じですので間違いないと思います。

という事は、これは勝手な想像に過ぎませんが久保と下宿の白山神社は繋がりがあり、下宿の白山社もまた疱瘡の神として祀られていたのかも知れません。

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久保白衣観音堂

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祭りの拠点となる共励館。祭りで使う太鼓の準備でしょうか。


参考 :
『埼玉の神社』
『郷土志木 第14号 「館村神社明細帳」』
『郷土志木 第17号 「芋頭伝説と疱瘡神に関する一考察」』
『郷土志木 第19号 「久保地区のお獅子様」』
『郷土志木 第21号 「お獅子様をご神体とする平方・八枝神社について」』


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Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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