白い参拝記 五社神社 【東 (旧 百間村字東)】

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五社神社 【東 (旧 百間村字東)】

■主祭神 : 天之忍穂耳命・天津日子根命・天之穂日命・活津日子根命・久須毘命
■創建 : 養老年間(717-724)

東武伊勢崎線『姫宮駅』の南西600メートル程の位置に鎮座。西光院というお寺と道を挟んで隣接しています。駐車場は無いですが西光院の駐車場をお借りします。

周りは民家も少なく、静かかと思いきや神社前の交通量は多いです。宮代・杉戸から岩槻へ抜けるには絶好の道だからです。神社はそれとは関係なく静かで、県指定の文化財の社殿は堂々と鎮座しています。

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神社入り口。

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拝殿。

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県指定文化財の本殿。

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不動明王堂。

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神社案内板。

当地は、かつて百間村の中心地であったが、元禄8年(1659)に分村して東村となった。また、古くは大寺であった西光院があることから寺村と称した事もあった。

創建については、元禄12年(1699)に西光院住職宗彬法印と弟子の当社別当大蔵坊秀応が、荒廃した当社の改修の寄進を求めるために記した「勧進帳」(西光院蔵)には次の様な事が記されている。
「養老年間(717-724)かの行基が当地に来たところ、五人の老翁が現れ、「我々は仏法護持のため、様々な霊地に身を置いたが、中でも当地は天地に比べるもののない霊場である。我々は熊野三山の翁・近江日吉の主・白山の厳老である」と告げて姿を消した。行基はこの告げに従い、当地に西光院を建立し、境内に寺の鎮守として当社を創建した。その後当社は、百間領五千石の総社として厚く崇敬されたが、時を経ると人々の崇敬心が衰え、社殿も激しく荒廃してしまった。この有様を憂えた宗彬法印らは、まず元禄8年に拝殿を増築し、次いで他の社殿の改築を発願して、広く寄進を求めたものである。

口碑によると、この社殿の改修は、宗彬法印らの努力もあって、領民の寄進により無事に行われたという。
なお、本殿は五間社流造りで、桃山期から江戸初期のものとされ、県内では珍しい形式であり、昭和37年に県指定文化財となった。


参考 : 『埼玉の神社』

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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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