白山神社 【俵田】
■主祭神 : 大友皇子・菊理比賣命
■創建 : 不詳
久留里街道沿い、JR久留里線『小櫃駅』と『俵田駅』の中間地点に鎮座。大きい神社ですので駐車スペースもあります。
白山神社古墳という前方後円墳の脇に鎮座しています。
神社入り口。
二の鳥居。
二の鳥居をくぐると門が見えて来ます。
拝殿。立派な造りです。
末社殿。手前に八坂神社。
拝殿の周りには末社が点々と鎮座しています。これは天神社。
白山神社古墳の案内板。
Wikipediaより
「この神社の創建年代等については不詳であるが、この地には672年の壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)がこの地を訪れたという伝承があり、境内にある古墳(白山神社古墳)は、大友皇子を葬ったものとされる。かつては田原神社と号し、地名の由来となったとされるが、明治初期現在の社号に改められた。」
参考 : 『千葉県神社名鑑』/千葉県神社名鑑刊行委員会編(1987)
■創建 : 不詳
久留里街道沿い、JR久留里線『小櫃駅』と『俵田駅』の中間地点に鎮座。大きい神社ですので駐車スペースもあります。
白山神社古墳という前方後円墳の脇に鎮座しています。
神社入り口。
二の鳥居。
二の鳥居をくぐると門が見えて来ます。
拝殿。立派な造りです。
末社殿。手前に八坂神社。
拝殿の周りには末社が点々と鎮座しています。これは天神社。
白山神社古墳の案内板。
Wikipediaより
「この神社の創建年代等については不詳であるが、この地には672年の壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)がこの地を訪れたという伝承があり、境内にある古墳(白山神社古墳)は、大友皇子を葬ったものとされる。かつては田原神社と号し、地名の由来となったとされるが、明治初期現在の社号に改められた。」
社伝に「大友皇子当国に逃れ来当地に築城し白鳳年中皇子有故屠腹の後火縦焚城」とあり、天武天皇の13年勅使下向し社殿を造営す。『三代実録』第40巻に「正六位上建市神田原神並従五位下」とある。古手桶一個を蔵す。皇子の御首を納め奉じて社後に奉葬すという。明治30年錦鶏間祇候貴族院議員従三位勲四等子爵平松時厚の白山神社に詣ずるの記等を蔵す。
参考 : 『千葉県神社名鑑』/千葉県神社名鑑刊行委員会編(1987)