白い参拝記 比企郡嵐山町

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白山神社 【吉田】

県道69号「越畑交差点」を北へ約1キロ程進んだ土木会社の敷地奥に鎮座。会社敷地内とも思われる場所で誰もいなかったので国道から見学。以前見た資料には吉田集会所敷地内に白山神社の存在が記載されていましたが、集会所には無く、ここに移転してきたのでしょうか?

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国道から神社が見えます。

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小ぶりな拝殿。

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少し上ったところにある吉田集会所。

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白山神社 【平沢字入】

国道254号「平沢交差点」を西に300メートル程の場所に鎮座。位置的には隣接する平澤寺の境内社であったと思われます。お寺の空きスペースに駐車させていただきました。

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神社入り口。

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長い石段を登ると拝殿が見えてきます。

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神社名額。

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拝殿の中を覗いてみる。

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境内から石段の下を望む。下に見えるのが平澤寺。

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天台宗平澤寺。もともとここの白山神社は平澤寺の境内社でした。

当地には菅谷・小川・鉢形を経て上野(こうずけ)に至る鎌倉街道があり、中世における交通の要衡であった。地内の平沢寺境内の山上から平安末期の久安4年(1148)銘の鋳銅経筒が出土しており、『吾妻鏡』の文治4年(1188)7月13日条には「武蔵国平沢寺院主職事被付僧寛訖」とあり、同寺の創建の古さがうかがわれる。
当社は平沢寺の鎮守として創建されたと伝えられている。禅僧万里集九(ばんりしゅうきゅう)の記した「梅花無尽蔵」(五山文学新書)によれば、享受2年(1488)に集九は、上杉定正を討つために当地に布陣していた資康(太田資康の事だと思います)の陣中に36日間逗留し、その間に平沢寺の鎮守白山社において資康と詩歌会を催したと言う。
(中略)
『風土記稿』に当社は「七社権現社 村の鎮守にて境内にあり 祭神は白山及び熊野三社、三嶋の三社を合殿して七社と号す、されど古は白山のみの社にや(以下略)」と記されている。恐らく熊野三社は待正院により勧請されたものであろう。明治に入り、社名も白山神社に復し、明治43年に現在の高台に移され、4年後に社殿が新築された。


参考 : 『埼玉の神社』

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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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