白い参拝記 北本市

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石戸神社 【石戸宿字堀之内】

■主祭神 : 菊理姫命・伊弉那岐尊・伊弉那美尊
■創建 : 不詳

国指定天然記念物の「石戸蒲ザクラ」のある時宗東光寺より北東200メートルの位置に鎮座。東光寺の南側にある「堀之内集会所」に駐車させていただき参拝。

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神社入り口。民家脇の細い路地が参道になっているので少し分かりにくいです。

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平成5年10月に改築された拝殿。

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拝殿の中を覗いてみる。

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神社の一番奥には境内社の金比羅社・稲荷社。

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拝殿から境内を眺める。

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石戸神社と関係の深い時宗東光寺は鎌倉期の草創を伝える古刹で境内には源範頼手植えとされる石戸蒲桜(国指定天然記念物)がある。

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蒲ザクラ。桜の季節に来るべきでした。

当社は石戸宿の小名のひとつである堀之内に鎮座している。堀之内の地名の由来は、『風土記稿』石戸宿村の阿弥陀堂の条に「小名堀之内にあり、あひ伝へて此地蒲冠者範頼(がまのかんじやのりより/源範頼)の住居の地とも、又石戸左衛門尉の居城なりともいへり」と載り、居館にめぐらした堀にちなむという。当社裏手に館の土塁と堀と思われる遺構が今も残る。
当社は古くから白山社と号した。創建の経緯は不明であるが、地内の東光寺は、かつて阿弥陀堂と呼ばれており、源頼朝の弟範頼が当地へ配流となった折、息女の亀御前が病に罹り、正治元年(1199)7月に亡くなったため、その追福により堂を建てたことに始まると伝わる。白山修験が信仰した白山三所権現は、十一面観音・阿弥陀・聖観音を本地とし崇敬することから、十一面観のの垂迹である菊理姫命を祭神とする当社も、阿弥陀堂の創建の創建と前後して祀られたのではないであろうか。

当社の江戸期の事歴については明らかではなく、明治初年の社格制定に際しては無格社とされた。
昭和18年に、石戸宿村が中丸村と合併し北本宿になると「石戸」の地名が消える事を惜しみ、社名を「石戸神社」に改めたという。
(※)石戸神社と改めたのは昭和29年5月。

名称の変更については、昭和29年11月に奉納された神社標識に「石戸の地名と神社の由来」と題した文書が書かれてるようですが、そこから改称についての解説文を引用。
「爾来明治廿二年四月町村制施行の際石戸宿村荒井村高尾村下石戸上村下石戸下村元石戸領二十村ノ内五ヵ村合併の議起り各字より一名宛議員を選出協議の上合併する事に決定せり、然るに村名の相談に至っては議論百出三日間熟議の末石戸村の名称に一決せし事旧記に見えたり其の後昭和十六年二月二十一日紀元の佳節を卜して石戸村中丸村と合併北本宿村誕生するに及び石戸の名ハ永久も消えなければならない運命となりました。石戸の名発生地区民ハ深く此の事を歎き石戸の地名を長く子孫に伝えんと欲して宮司小古瀬氏に謀り小林幾太郎、高松新作、小林武治両三名により昭和廿八年十一月氏子総会召集相談の末全員賛成となり昭和廿九年二月神社本庁へ申請の所昭和廿九年五月四日付第五百二十号を以て神社本庁統理鷹司信輔殿より信任総代の小林武治・高松亀之助・高松松治世各氏の代に認承書が下附されました據って由来を記し伝へ事を諮り不肖事務担当の関係辞する能はず拙文不顧再拝謹而応 昭和廿九年甲午十一月吉日 高松堅次謹書」


参考 :
『埼玉の神社』
『北本の神社』/北本市文化財保護委員会

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白山神社 【朝日2丁目】

JR高崎線『北本駅』から東へ1.5キロほど、県道312号沿いに鎮座。ファミリーマート向かいにあります。駐車スペースはありません。(ファミマでアイスを買うついでに参拝しましたが、最近通りがかったらファミマは潰れてました。)

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神社入り口。この時は夕方で、猛烈な逆光で写真が撮り難くくておかしいな、と方角を確認したら北東を向いて建てられていました。珍しい神社です。

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鳥居の額は渋くて良い感じ。

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拝殿。

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拝殿の扉は開放されていて中をそのまま見ることが出来ました。

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石戸宿の東光寺の蒲ザクラの後継樹。

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境内には謎のお堂。薬師堂なのか、東光寺のように阿弥陀堂なのか不明です。


因みに、北本市宮内にある宮内氷川神社に常光別所の白山神社が合祀されていますが、おそらくそれと同一の社ではないかと思います。合祀後に戻されたかそのまま残っているのでしょう。

『風土記稿』別所村の頁に向かいにある無量寿院の境内社として登場します。
「白山妙理社 大堂に向て右にあり 當村の総鎮守なり」

参考 : 『新編武蔵風土記稿』

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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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