白い参拝記 久喜市

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河原神社 【西大輪字古川】

旧南埼玉郡鷲宮町。

参拝当時はまだ鷲宮町でした。

JR東北本線『東鷲宮駅』から西へ300メートルの位置に鎮座。県道3号を越え、「すぎのや」脇の路地を行くと葛西用水沿いにあります。駐車スペースはありません。

手元にある2001年版の埼玉県のポケット地図を見るとここは白山神社と表示されています。社殿を覗きこむと「白山神社」の額がチラッと見えたので白山の神が祀られている事には間違いがなさそうです。
図書館にあった一番古い鷲宮町のゼンリン住宅地図(1986年版)を見るとやはり白山神社で、2000年代版に入ると河原神社と表記されています。いつから河原神社となったかは由緒等が書かれた資料がないので不明ですが、境内にある「河原神社建設記念碑」並びに鳥居には平成元年12月と刻まれているで、その時に社殿の改築と共に社号を改めたのでしょうか。地図情報の更新が白山神社のまま更新されなかった為、曖昧になっているのかも知れません。

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神社入り口。

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神社全体像。

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小林神社 【菖蒲町小林字京手】

■主祭神 : 菊理媛命・伊弉諾命・伊弉冉命
■創建 : 不詳

県道310号線沿い、小林小学校から北西に300メートル程の距離に鎮座。神社東側の路地から駐車できます。神社の前は免許センターへの近道として何度も通った頃がありましたが存在は知りませんでした。

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神社標識。ちなみに”こばやし”ではなく”おばやし”と読みます。

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神社入り口。境内は木が生い茂っています。

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二の鳥居。

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拝殿の周りも緑豊か。

『風土記稿』小林村の頁。
「客神明神社 元白山を勧請せしが いつの頃よりか 客人神に祀りかえしと云 是も妙福寺持なり」

小林は昔から大字がなく、小字の集まりが一村を形成していた。大きくみて数えても、13もの小字が存在している。その殆どの字が字の実情にふさわしい神を勧請して経営してきた。
そして氏神的な親近感をもって崇敬していた。祭祀は神社特有の日取りもあるが農閑期の月にあて、氏子中が集い一日楽しく過ごした。これにより廓の絆もおのずと結ばれた。
しかし規模は小さく崇敬奉仕に欠けることはなくても、その尊厳を保持するまでには至らず明治39年の勅令に該当していた。そこで合祀委員を各社から選出。合祀に向け発足した。

その後、大正2年2月20日に合祀の許可を得て3月8日に合祀祭典を行いました。

もともとこの地に鎮座していた白山神社に八幡神社・天神社・大六天神社・三上神社・雷電神社・本宮神社・稲荷神社・妙見神社・稲荷神社・水神社・愛宕神社・平野神社・八雲神社の計14社を合祀し、小林神社と改めたという事です。


参考 : 『菖蒲町の神社』/菖蒲町教育委員会

久伊豆神社 【江面字宮前】

■主祭神 : 大己貴命
■創建 : 不詳

県道3号、久喜市総合体育館向かいの「総合運動公園入り口」交差点を西へ行き、東北自動車道の下を潜って西側に出た路地をすぐに南に入ると鎮座しています。道が狭いので運動公園に駐車し、自転車で来ました。

7月8日に行われる祭礼は白山社の田植え後の豊作を祈願する祭りですが、この祭りが一番賑やかな為、地元では久伊豆社にも関わらず「はくさんさま」と呼ばれているそうです。

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神社入り口。

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神社名額。

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合祀記念碑(?)志羅山神社・社宮司神社・め体神社・男体神社

「志羅山」はそのまま”しらやま”と読みます。合祀されている白山神社の事でしょう。
志羅山は岩手県の平泉毛越寺の住職が代々名乗る姓で、かつては白山姓だったようです。今年世界遺産に指定された平泉の中尊寺の境内に白山神社がありますが、その白山社と共に毛越寺には慈覚大師によって勧請された白山神社がありました。その白山社に由来する姓だと言われています。平泉の白山神社については、中尊寺開祖で、かつての蝦夷の俘囚長の家系である奥州藤原氏の白山信仰が絡むスケールの大きな話に成るのでまだ勉強中です。いつか平泉に行ってみたいですね。
そのような訳で、「志羅山」の当て字を使っているのは面白いと思いました。

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神社から300メートルほど北西に行くと用水路に「白山前橋」。この辺りに白山社があったのか久伊豆神社を「はくさんさま」と呼んでいるからこの名がついたかは不明です。

越谷・岩槻の久伊豆神社、騎西の玉敷神社と共に「4大久伊豆神社」の一つと並び称されるという当社は大己貴命を祭神とし、創建以来、江面の鎮守として祀られてきた。

『風土記稿』江面村の頁を見ると、当社について「久伊豆社 村の鎮守とす、社傍に庵を結び、社を守れる者居れり」と記されている。

神仏分離を経て、当社は明治6年に村社となり、村内にあったその他は無格社となったため、政府の合祀政策に従って明治41年にそれらの無格社が合祀された。合祀された神社は、字小谷の白山社、字相野谷の神明社、字中河原の厳島社、字川島の大六天社、字志部の女体社の5社で、大六天社と女体社はその後旧地に戻された。


参考 : 『埼玉の神社』


太田神社 【久喜北1丁目 (旧野久喜字丸島)】

■主祭神 : 火雷神・大己貴命
■創建 : 不詳

『久喜駅』から北へ500メートルの住宅地に鎮座。周辺は道が狭いので駅周辺でパーキングを探して徒歩で来るのが良いかもしれません。

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神社入り口。

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拝殿。

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拝殿を近くから。

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合祀記念碑。

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境内社、白山社。

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白山社の中を覗くと石柱が二本。石燈籠のようです。刻まれた文字を読むと、

「白山宮 武州久喜領主

奉寄進 石燈籠

享保六辛丑年 九月吉日 藤原氏■(最期の字が読み取れません)」


鎮座地の野久喜は、青毛掘川右岸の低地に位置する農業地域で、古くは久喜本町・久喜新町・古久喜村と共に久喜町を形成していたがいつのころからか分立したという。その鎮守として祀られてきたのが、火雷神を雷神とする雷電社であり、明治初年には同じ村内にあり、大己貴命を祭神とする千勝社を合併し、雷電千勝社となっていた。当社の本殿が二間社流造りになっているのはそのためである。
野久喜の鎮守であった当社は、明治6年には村社となったが、政府の合祀政策に従い、明治40年に野久喜・古久喜両大字の地内にあった諸社を合祀する事になった。この時合祀された神社は、野久喜からは字上宿の稲荷社、字香取の香取社、字出来野の青滝社の無格社三社、古久喜からは字丸島の稲荷社、字本田の白山社、字出来野の女体社、字中島の浅間社、字本田の浅間社、字市ノ坪の神明社の無格社6社及び字出来野の村社女体社の計10社にも上り、そのほとんどが今では跡地も宅地などになり、社のあった痕跡もとどめていない。
この合祀によって社号を雷電千勝社を太田神社に改めたが、その社名は、かつてこの地域が太田荘と呼ばれ、明治22年の町村合併で古久喜・野久喜・青毛・栗原・吉羽・西野6ヵ村が合併して太田村と称していた事に由来し、当時の村長が命名した。このような経緯を経て、当社は現在の様な形になったのである。

以前、県立図書館の久喜市の郷土資料で字本田の白山社は合祀されて無くなった後も現地の人はお祭りを続けていると書いてありました。文献を失念したため詳細は分かりません・・・。

参考 : 『埼玉の神社』


白山神社 【菖蒲町菖蒲字西堀】

■主祭神 : 菊理姫命
■創建 : 不詳

旧南埼玉郡菖蒲町。

県道313号沿いに位置する菖蒲高校の西側住宅地に鎮座。駐車スペースはありません。(菖蒲高校は昨年4月に蓮田高校と合併して現在は廃校になっているようです。)

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向かって左側が白山神社、右側が八坂神社です。鳥居も無く社殿だけの神社。

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裏側から見てみる。

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境内には文字が読み取れない位に風化した庚申塔と馬頭観音のみ。

参考 : 『菖蒲町の神社』/菖蒲町教育委員会


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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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