白い参拝記 越谷市

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香取神社 【東越谷一丁目】

■主祭神 : 経津主大神
■創建 : 不詳

東武伊勢崎線『越谷駅』東口の駅前通りを600メートル程直進、元荒川を渡るとハローワークがあるのでそこ交差点を北に向かうと住宅地の中に鎮座しています。駐車スペースは無いので駅前でコインパーキングを探しましょう。

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神社入り口。

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二の鳥居。

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二の鳥居が塗装はしておらず、木目をいかし、細かい彫刻も見れるかっこいいデザイン。

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一見普通の社殿と思いきや、拝殿はコンクリート打ちっぱなしの妙に近代的な外観。神社といえば木のぬくもりを感じますが、この社殿はクールです。

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本殿覆屋もコンクリート。

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合社殿。左から、琴平社・熊野社・白山社・秋葉社。

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三社神社(熊野神社 白山神社 秋葉神社)と書かれています。

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・・・・。

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境内にある案内板。

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神社入り口にある案内板。

口碑によると、当地は9人の武士が開拓を始めたが、農作物が次々と盗まれるので、盗難からの守護と五穀豊穣を願い、下総国一宮の香取神宮を勧請して祀ったのが当社の始まりであるという。
江戸期において、小林村の鎮守は当社の南に隣接する神明社であった。一方、当社は『風土記稿』に「観音寺 無量山と号す、本尊十一面観音を安ず 香取社」と記され、観音寺の境内社としてみえ、元禄2年(1689)銘のある手水鉢にも当寺の名が刻まれている。この寺は現存せず、明治7年に廃寺となっている。
明治4年には、鎮守の神明社ではなく、当社が村社となっている。


参考 : 『埼玉の神社』

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香取神社 【大林字西耕地】

東武伊勢崎線『北越谷駅』東側を走る県道325を1キロ程北上、セブンイレブン脇の道を西に向かうとすぐに鎮座しています。神社の北側に多少の駐車スペースはあります。ここは宮内庁鴨場のすぐ北側ですね。合祀された白山神社は鴨場の東側、大林寺の北隣にあったそうで、地図を見ると現在駐車場になっているようです。

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神社入り口。

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拝殿。

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境内社。左から、稲荷社、大神宮社、白山社。

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白山社アップ。

創建の年代は明らかでないが、日光街道の整備が進められた江戸初期には既にこの街道沿いに祀られていたと考えられる。『風土記稿』大林村の頁には、「香取明神社 村の鎮守にて、万蔵寺の持 末社天神」と記されている。
(中略)
明治初年の神仏分離を経て、当社は明治6年に村社となった。その後、同40年に大字大林字西耕地の神明社と白山社の2社の無格社を境内に合祀した。


参考 : 『埼玉の神社』

久伊豆神社 【袋山字根通】

■主祭神 : 大己貴命
■創建 : 慶長5年(1600)


東武伊勢崎線『大袋駅』北北西400メートル程の位置に鎮座。神社西側に駐車スペースがあります。

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神社入り口。

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拝殿。

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境内社、向かって左から稲荷社、浅間社、天王社、天満社、白山社。

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(目の神)と書いてあります。目の病気に罹ったときにお祈りするのでしょうか。

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神社案内板。

『風土記稿』袋山村の頁に「雷電社 村の鎮守とす 村民持 下同 ○稲荷社ニ宇 (中略) 久伊豆社」とあるように江戸時代の袋山村には4つの神社が祀られていた。ここには雷電社が鎮守とあるが、明治の社格制定時には当社が村社となり、雷電社は2つの稲荷社と共に無格社になった。その後、雷電社は明治40年に当社に合祀され、今では旧地さえわからない。


参考 : 『埼玉の神社』


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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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