白い参拝記 羽生市

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

八幡神社 【須影字上寺地】

■主祭神 : 誉田別命・菊理姫命・伊弉諾命・伊弉冉命
■創建 : 不詳

国道122号「砂山橋」交差点を東に500メートル程行くと鎮座しています。併設の須影公会堂の前に駐車させてもらい、素早く参拝。

st105_01tm.jpg
神社入り口。

st105_02tm.jpg
二の鳥居。とても綺麗な鳥居です。

st105_03tm.jpg
拝殿。

st105_04tm.jpg
本殿には市の文化財に指定されている彫刻。

st105_05tm.jpg
本殿裏から。これは「三韓征伐の図」。


『風土記稿』には「八幡社 村の鎮守なり、慶安2年8月24日社領19石5斗余と賜ふ、別当真言宗蓮華寺」とある。
別当最期の住職潮元は、安政4年から慶応元年まで8年の歳月を費やして、今日の本殿と拝殿を造営している。
(中略)
明治4年に村社となり、同40年には村内の白山社、愛宕社を合祀する。ただし愛宕社は災厄を恐れる旧氏子の要請により返還されて今はない。


参考 : 『埼玉の神社』

スポンサーサイト

桑崎三神社 【桑崎字堀内】

■主祭神 : 誉田別命・菅原道真公・倉稲魂命
■創建 : 不詳


国道122号「桑崎」交差点を西に700メートル程進むと県道128号途中に秩父鉄道の踏切がありますが、その踏切手前の路地を北に300メートル程進むと鎮座しています。併設の桑崎集会所に駐車スペースがあります。

st96_01tm.jpg
踏切の辺りから参道が始まるようで八幡神社の神社名碑があります。

st96_02tm.jpg
神社入り口。

st96_03tm.jpg
拝殿。平成20年6月に改築されたばかりでとても綺麗です。

st96_04tm.jpg
改築記念碑。

st96_05tm.jpg
片隅に末摂社群。目の前がごみ置き場なのはいかがなものか。

st96_06tm.jpg
その中に白山神社の社殿。

st96_07tm.jpg
隣にあった碑。講の記念碑でしょうが、妙に印象に残ります。


桑崎は会の川と利根川に囲まれた農業地帯に位置し、古くから米麦を中心とした農業が営まれていた。また、字堀内には、城館・空濠・土塁の跡があり、戦国時代を彷彿とさせる。
この桑崎にはもともと三社あった。このことは『風土記稿』にも「天神社 村の鎮守とす、稲荷社 以上全福寺持、八幡社 上岩瀬村医王寺持」と載ることからも明らかである。これが、明治初めの神仏分離のため、明治4年に全福寺は廃寺となり、天神社・稲荷社は八幡社に合祀された。その結果、社名も桑崎三神社と改められ、明治78年(ママ)4月には村社となっている。


参考 : 『埼玉の神社』

小松神社 【小松字住環西】

■主祭神 : 伊弉諾命・伊弉冉命
■創建 : 景行天皇の代(71~130)、承安年間(1171~1175)熊野白山を勧請

国道122号「小松交差点」から北へ500メートル程行くと鎮座しています。鳥居脇に駐車場ありです。


st50_01tm.jpg
羽生城主の祈願所とされていた羽生領総鎮守。立派な神社です。赤い鳥居が眩しい立派な神社。鳥居の額には「小松三神社」とあるように熊野白山合社に小松明神の三柱が祀られています。

st50_02tm.jpg
拝殿。

st50_03tm.jpg
本殿は、熊野・白山が仲良く並んで鎮座。迫力があります。

st50_04tm.jpg
小松明神。

社記によれば景行天皇の代、日本武尊が東征の途次、当地のアラカ土手に陣営を敷き、ここに小祠を建立、伊弉諾命・伊弉冉命の二柱を祀ったという。
(中略)
天和2年鋳造の小松寺胴鐘銘写によると、承安年間(1171~1175)小松内府平重盛は当社に熊野白山両権現を勧請する。これは浄土往生を願う重盛の信仰から起こり、本地仏に阿弥陀如来と十一面観音を祀ったもので、重盛は治承3年(1179)に没し、重臣の筑後守貞能は出家し、追善の為に小松寺を造営した。遺骨は重盛が日ごろから崇拝し、自らが勧請した熊野白山両権現のそばに埋葬され、目印として銀杏を植え、脇に小松大明神が建立された。なお、小松と称する所は、当地に限らず下総・加賀・出羽の国々にもあり、それぞれに小松寺が建立されているが、これは小松内府の霊を慰めるために造営されたものといわれる。


参考 : 『埼玉の神社』


天神社 【下新郷字中耕地】

下新郷の白山神社から西へ300メートルの位置に鎮座。駐車スペースはありません。

古くから学問の神として信仰されて、天神様と呼ばれています。
st46_01tm.jpg
神社入り口。

st46_02tm.jpg
拝殿。

st46_03tm.jpg
末社群。

st46_04tm.jpg
季社・白山社・鷲社・三峰社・秋葉社の合社碑


明治41年、下新郷に祭られる12社の神社が当社の境内社として合祀されるが、このうち、字小々松の白山神社、字東の愛宕神社、字藤兵衛の鷲神社の三社は、このまま現地の残されたり、あるいは旧氏子の要望により旧地に戻されたりしている。そのため現在合祀されているのは字藤木の久伊豆社・同境内社稲荷社、同字大電社・同境内社秋葉社、字小々松の白山社境内社雷電社、字東の季神社・同境内社秋葉社、同字三峰社、字中耕地の浅間社の九社である。


参考 : 『埼玉の神社』

天神社 【上川俣字竜住】

白山神社から400メートル東に進むと埼玉用水を渡る橋があるのでそこから西に目を向けると鳥居が見えます。そこを進むと鎮座しています。上川俣集会所併設で駐車スペースはあるようですが、車で鳥居をくぐる事になるのでお勧めしません。

st52_01tm.jpg
神社入り口。田んぼの真ん中に参道があります。

st52_02tm.jpg
二の鳥居には「天満宮 雷電宮」と書かれています。
『埼玉の神社』に「雷電様と呼ばれ、作神として信仰されていたという。古い天神信仰の名残かと思われるが、現在は具体的な例を見出す事が出来ない」とあります。天神を祀っているけれど、実際には雷電神社としての信仰・役目があるのでしょう。

st52_03tm.jpg
拝殿。

st52_04tm.jpg
末社。

st52_05tm.jpg
末社の中に白山神社。

『明細帳』に、「八幡社、白山社、住吉社、愛宕社は明治40年6月28日大字竜住より移転し境内社とする。同日赤城社、八坂社を大字寄居より境内社として移転す」とある。境内社はこのほかに、創立天明2年2月2日と伝える稲荷神社一宇、「大杉明神 河伯水神 寛政三辛亥年四月十五日奉勧請上河俣総氏子西照寺」と刻まれた石祠、「于時文久紀元年辛酉四月武塔天神社」と刻まれた石碑がある。

上川俣の小さい白山神社は合祀された跡地なのでしょうか?


参考 : 『埼玉の神社』

相棒
カテゴリ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール

横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。