白い参拝記 東松山市

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諏訪神社 【岡字寄居】

国道407号「上岡交差点」北側に鎮座。駐車スペースはありませんが、神社前の「上岡集会所」、もしくは駐車場のある隣接の「馬頭観音妙安寺」に参拝したついでにに参拝するのがいいかもしれません。

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民家敷地の間の長めの参道を行くと鎮座しています。

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参道途中に鳥居。妙安寺の墓地に接しています。

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拝殿。

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向かって左側の境内社。天神社、八雲神社。

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右側に稲荷神社と白山神社。

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白山神社(祭神:菊理媛神)アップ。

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隣接の妙安寺にある上岡馬頭観音にも参拝。かつては軍馬や農家馬、旧陸軍の騎兵隊の守り神として信仰を集め、現在は競馬の神様としても信仰されているそう。境内には何故かポニー乗り場も(笑

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境内には無数の馬頭観音の石祠がありますが、この馬を模った馬頭観音はインパクトあり。

和田吉野川の右岸に位置する岡は、上岡・中岡・下岡の三つの地区に分かれる。このうち上岡の鎮守として祀られているのが当社である。
口碑によると、当社は初め妙安寺の境内に祀られていたが、文政元年(1818)に現在の地(妙安寺の隣接地)に映されたという。
昭和42年の社殿再建の際に「奉新造上屋一宇文政元戌寅稔十有二月初五日妙安院位立峰双代」と記した棟札が発見されており、この遷座に合わせて覆屋(上屋)が建立された事が分かる。また、別の口碑によれば、当地は水害の多いところであったため、耕作に苦労した村人がその安泰を願って当社を奉斎したとも伝えている。
妙安寺は諏訪山と号する曹洞宗の寺院で、開山は文禄元年(1592)に入寂した祖真和尚である。同寺が山号を「諏訪山」と号したとすると、寺の創建には諏訪神社が既にこの地に存在し、一旦はこの諏訪神社を取り込んで寺の鎮守としたが、改めて文政元年に寺の隣接地に移して村の鎮守としたものであろう。


参考 : 『埼玉の神社』

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白山神社 【上唐子字引野】

■主祭神 : 菊理姫命・伊弉諾尊・伊弉那美尊
■創建 : 寛文年間(1661-73)

東武東上線『つきのわ駅』から南へ800メートル程の住宅地に鎮座。254号バイパスの南を走る県道344号には「白山神社南」という交差点もありますのでそこを北に行くと神社に到着できます。駐車スペースはありませんが、近くの「上唐子集会所」の駐車場をお借りしました。

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神社入り口。参道の途中で路地が横切ります。

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二の鳥居並びに拝殿。

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拝殿の中を覗いてみる。

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昭和52年に社殿の改築を行った際の記念碑。

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隣接する阿弥陀堂から神社を眺める。

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別当の常福寺にあったとされる阿弥陀堂。

社伝によると、当社の創建は寛文年間のことで、当村の篠田三郎右衛門・堀越三右衛門の両名が尽力して加賀国の白山比咩神社を勧請し、社を建立したと言う。その後、享保年間(1716-36)に社殿の再建を行った。嘉永2年(1849)の大火により類焼の憂き目に遭うが、安政4年(1857)に再興を果たした。
往時の祭祀状況については明らかではないが、当社の西方300メートルほどの地にあった常福寺が、別当として祭祀を司っていた事が推測される。常福寺は無量山佛音院と号する天台宗の寺院で、阿弥陀如来を本尊としていたが、明治初年に廃寺となった模様である。現在、当社の隣接地にある阿弥陀堂は、この常福寺にかかわっていたものと考えられる。
明治6年に村社に列せられ、昭和4年には隣接の畑5歩と宅地6坪余を境内に編入し拡張を行い、神饌幣帛料供進神社に指定された。同53年には社殿の再建を行い、現在に至っている。


参考 : 『埼玉の神社』

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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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