白い参拝記 川越市

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日枝神社 【上戸字山王原】

■主祭神 : 大山咋尊・大己貴尊
■創建 : 貞観年代(860)

東武東上線『霞ヶ関駅』から北へ600メートルほどに鎮座する日枝神社。

神社東側に駐車場がありました。

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神社入り口。



肝心の日枝神社の社殿はカメラの調子が悪くまともに写っているのが無いので省略です。


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境内社。

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境内社の白山神社。


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神社案内板。


境内社には、大地主神社・白山神社・戸衛神社が古くからある。この他、明治41年に鯨井字西原の御嶽神社・愛宕神社、同字天王の八坂神社及び同社境内社の浅間神社・御嶽神社、上戸字天王の神明社・八坂神社を境内に合祀し、本殿に鯨井字西原の首頭神社、同字鴈田の神明社・第六天神を合祀している。



参考 : 『埼玉の神社』
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白山権現 【小仙波町1丁目】

言わずと知れた川越大師「喜多院」の山門前に鎮座。喜多院の駐車場からも近いです。


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とても小さい祠のみの神社です。

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喜多院山門。


もともとこの地にあった白山神社が仙波東照宮の建設の為に寿町に移転したと言われています。この白山神社は近年に再建されたものと思われますが、元は寿町の白山神社と同一のものと考えて良いかもしれません。

白山神社 【増形字道山】

■主祭神 : 菊理姫尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊
■創建 : 明暦三年(1657)


県道114号沿いにある川越総合卸売市場の南側300メートル程の位置に鎮座。周辺はカーブがきついので車だとうっかり通り過ぎるかもしれません。鳥居前ならなんとか駐車は出来そうな感じです。

川越の白山神社では一番規模が大きいのではないでしょうか。


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鳥居。

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拝殿。

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境内社の愛宕社。


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拝殿側から境内を眺める。



『明細帳』によると、明暦3年5月、覚尊という僧が字葛茂川(現在場所不詳)から現在地に遷宮したと金幣に記してあったと言う。『風土記稿』には「明暦三年五月勧請、本地十一面観音、修験成就院持」と載せる。
(中略)
明治5年に村社となり、同41年に字一本榎の八坂神社、字泥辺の厳島神社を合祀した。


参考 : 『埼玉の神社』



白山神社 【下広谷字子ノ神前】

■主祭神 : 伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫尊
■創建 : 不詳

小堤白山神社から西へ500メートルの位置に鎮座。

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これも住宅地にある立派な神社。

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拝殿。

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境内社の、八坂神社・稲荷神社

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神社案内板。

当社の鎮座地である下広谷は川越市北部に位置し、古くは鶴ヶ島町の上広谷、並びに五味ヶ谷とで一村をなしていた。
村の開拓にかかわる口碑に、鎌倉期に坂本を名乗る一族が当地に流れ着き、その時、当地には腹の中の子を入れても13人しかいなかったという。坂本一族の末裔である小林家は江戸期名主を勤め、当社は同家の屋敷鎮守であったこと、更に現在でも同家が永代総代をつとめていることなどから、当社の創始は坂本一族がこの地の開拓に際し、加賀一の宮白山比咩神社の分霊をまつったことによると思われる。
祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫尊の三柱で、内陣に江戸期の作であるといわれる聖観音像(21センチ)を安置している。
(中略)
明治41年に字子ノ神前の八坂神社・稲荷神社及び字庚申塚の白山神社を合祀している。『明細帳』には字庚申塚の熊野神社、字大前の八幡神社もそれぞれ合祀した事を載せているが、熊野神社は元地に社殿が存在し、前野・大畑両家が管理しており、八幡神社の本殿及び神体は野崎家が保存している。



上広谷(鶴ヶ島駅近く)にも白山神社は鎮座していますし、現在は不明ですが五味ケ谷村にも村民の持の白山神社の存在があった事が確認できます。小堤も近いですし、隣接する坂戸市中小坂にも合祀されてしまいましたがありました。この一帯は白山信仰が強かった事がうかがえます。


参考 : 『埼玉の神社』・『新編武蔵風土記稿』


白山神社 【小堤字白山西原】

■主祭神 : 伊弉諾命・伊弉冉命・菊理姫命
■創建 : 慶長二年(1597)


県道39号「小堤北交差点」(ガストが目印)を北上、500メートル進んだ先を東に曲がると鎮座しています。鶴ヶ島市との境に位置しています。一般的なな住宅地。駐車スペースはありませんが、正面にある小堤集会所に駐車場があります。

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それほど大きい訳ではないですが、立派な神社。案内板を読むと氏子がかなりの資金を出し合って建て替えたようです。この日も大工さんが修繕作業を行っていました。

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鳥居。

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拝殿。

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神社案内板。

当地は『風土記稿』によると古くは上小坂村と呼ばれていたが、寛永の頃には南側にある鯨井村の境を流れる小畦川の縁に堤を築いた事から、小堤村と改めた。
当社は小堤の北に位置し、慶長2年、越前加賀一の宮白山比咩神社よりの分霊と伝える。
村の草分けは、口碑によると宮本・三吉・大久保の三家で、中でも宮本家は代々名主を勤めた家柄である。当社はもと宮本家の屋敷鎮守で、これが後世村鎮守になったものである。現在、宮本家は姓を宮根としているが、これは川越城に宮本という家老がいたので同姓では無礼だと言う事から改めたという。宮本の名は、社のそばであったことに由来する。
祭神は伊弉諾命・伊弉冉命・菊理姫命である。本地は十一面観音で、厨子の墨書には「慶長二丁酉年九月吉日建立 宮本長右衛門惣村中 安政六未年六月再色願主傳七」とある。


参考:『埼玉の神社』

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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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