■主祭神 : 菊理姫命
■創建 : 不詳(天正18年頃?)
旧勢多郡粕川村。
上毛線『北原駅』より南に700メートルほどの場所に鎮座。「込皆戸集会所」が併設されているので車はそこに駐車させていただきました。

神社の入り口には神社名碑。旧粕川村の村社。

かなり年季の入った石鳥居。明和元年(1764)。

額も歴史を感じます。「白山大権現」とあります。

拝殿。

拝殿の中を覗いてみる。
「上野国神社明細帳」より
上野国南勢多郡込皆戸村字白山
村社 白山神社(無格社から村社へ昭和12年9月18日列格)
1、祭神 菊理姫命
1、由緒 不詳
「昭和12年10月8日明治39年勅令第96號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシテ指定セラル」
この白山神社については興味深い伝承があります。
1580年(天正18年)、徳川家康の関東入国と共に大胡城に入城してきた徳川家家臣の大名牧野氏には、ライ病に罹った鶴姫という娘がいて、込皆戸に別荘を設けてそこで治療をする事になりました。
鶴姫に従ってきたのが牧野氏家臣の坂本弾兵衛・弾右衛門兄弟でした(後に弟弾右衛門は浅草弾左衛門の支配下に入って、込皆戸を支配する小頭孫三郎を名乗るようになったと言います。)
従者達は鶴姫の病の平癒の為に加賀白山社に祈念して分霊を賜った所、なんと病は完治したそうです。(後に鶴姫は別の病気で亡くなってしまいます。)
志木市の舘氷川神社の頁でも触れましたが、難病に罹り加賀の白山神社に祈念して分霊を賜うエピソードは今戸の白山神社のそれと似通っていますね。弾右衛門の上司にあたる浅草弾左衛門(大分後の時代になりますが)にも子息が病気に罹り加賀白山神社に祈願したエピソードがあります。
これらから、当時白山神社は天然痘やライ病などの難病に対して霊験あらたかであったという事が分かります。
また、この白山神社に古くから伝わる三番叟は鶴姫の霊を慰める為に始められたと言われ、人形は牧野氏の故郷である三河から持って来たものだそうです。
ぐんま地域文化マップ「込皆戸操り人形式三番叟」後から知ったのですが、既に鶴姫の別荘のあった鶴姫山は現存して無いのですが、鶴姫を供養した「つる姫供養塔」は現存するそうです。これは一度拝見したいです。これは是非また込皆戸に足を運びたいですね。
込皆戸に伝わる、鶴姫伝承を伝える覚書
【伝承】産土白山神社由緒
本村創立の旧家としては坂本弾兵衛同じく弾右衛門と云う二氏有り(此二氏は兄弟なり)(兄弾兵衛わ當時坂本宗十郎之祖先也弟わ当時○○之祖先也)
昔慶長年間大胡の城主牧野駿河之守之従臣にして其當時ハ御城附近に居住せし者○、當地込皆戸に轉居するに附云々有り
駿河之守御息女鶴姫質悪しき病気を生じ故ニ○居さしむる時右兄弟の者を附添いに是に従ふ○姫の補護として爰に轉居せし者也
始め十余名の者相諜り加賀の國石川郡に鎮座する白山社に詣で御神の分霊を乞い受當地に祭祀病気平癒を祈念せし所受納有りて全快に相○○姫君は又々他病の為めに彼の世の人と成り給う。
ほどなく主君駿河の守は命に依り越後長岡ニ○○に成り其時兄弟及び従族の者に申して曰く、○命に依って越後長岡に居を轉ずる故に汝等○して亡き姫の後ひ尚又神霊を尊び・・・
(中略)
鶴姫山 此所ニ鶴姫ノ別荘アリシ故此名アリ白山神社ヨリ約二十丁程東當松林ニ成ッテ居ル
[白山神社]
(前略)
其後父君駿河守ハ上官ノ命ニ依リ越後御国替ヘト成ル際ニ申シテ曰ク汝等此所ニ永久居住シテ亡キ姫の跡吊イヨ又御神徳ノ厚キヲ忘ル事ナク長ク国土安穏和合満永久繁昌ヲ祈念スベシト神殿建立費トシテ金円若干ヲ寄進シ尚其後モ年々春秋ノ二回供米及ヒ神燈料トシテ金品ノ御寄贈有例祭日ハ必ズ参拝有リシト云々
■おまけ

神社のすぐ近くに会った「集乳所」なる建物の跡地。時代を感じる建物。良い感じです。

神社から北西500メートル程に「白山」という焼肉屋さんもありましたが、これは関係あるのかな?
参考 :
『上野国神社明細帳』/丑木幸男 群馬県文化事業振興会 編(2009)
『語り伝える込皆戸の生活‐粕川村込皆戸地区・歴史調査報告書』
/東日本部落解放研究所・粕川村込皆戸地区歴史調査団(1994)