白い参拝記 前橋市

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苗島神社/白山古墳 【苗ヶ島】

旧勢多郡宮城村。

県道333号「馬場町交差点」を北に1キロ進んだ場所に鎮座。神社前の「苗ヶ島集落センター」に駐車させて頂き参拝。

現在は苗島神社という地名を冠した社名ですが、旧称は「東白山神社」であったらしいです。

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神社入り口。

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参道を抜けると二の鳥居。

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とても奇麗な拝殿。

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境内には無数の末社があります。

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昭和44年の拝殿改築記念碑。

改築記念碑を引用。
 明治の初期に三社を合祀して苗島神社と社号が改められた際、本殿は改築されたが、拝殿は文政12年に建てられた白山大権現の社殿が其のまま使用されて来た。

 現今は氏子数も三倍となり、狭いのみならず腐朽も甚しかったため、明治百年に當り、これを記念して改築することゝなり、近代的な設計並びに監督を、前橋市一級建築士に委託し、施工は當村宮城建設株式会社との随意契約により昭和43年5月23日起工、同年10月17日完成した。此の間各種團体役員の協力と氏子崇敬者の労力奉仕等は、大いに稱えられべきことである。

 資金の大半は、氏子應分の目標額を示し浄戝を募ったところ、敬神の念篤く喜んで寄進されたものゝ外、内外からの篤志寄附及び神社の基金等を充てた。

 茲にこれ等寄進社に感謝の意を表するとともに、碑を建て、後世に伝えるものである。

         皇紀2629年
         昭和44年10月17日

「東白山神社」の地に周辺の社を合祀して苗島神社となったと言う事でしょう。

苗島神社から西へ800メートル程行くと「白山古墳」という古墳があります。

東白山神社にちなんだ古墳であろうと思い、宮城村文化財の地図を元に周辺を探してみましたが場所が分からずウロウロしていると近所のおじさんが声をかけて下さいました。おじさんは「それはウチの畑にあるよ」とわざわざ案内してくれました。完全に個人の畑の中にあります。これは気付かない筈です。おじさん曰く、1年に1度位この古墳を求めてやって来る人がいるという事なので、部外者がウロついてるだけで目的が分かったのでしょう(笑

おじさんによると、昭和29年、群大の研究者の調査によりこの古墳からはなんと和同開珎が出土したそうです。現在は普通の何の変哲もない畑ですが、昔は有力者が居たのでしょう。持ち主のおじいさんの代にはここにあった白山神社は取り壊し、古墳はならされて畑になったそうです。有力者が眠り、神社でもあったので正月には個人的にお供えをしているそうです。

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白山古墳。現在は削られ、露出した石室の一部を見ることができる。

って、ここにも白山神社があったという衝撃の事実!改めて集落センターにある文化財地図をみるとそこには白山古墳の所に「旧 西白山神社」と記載されていました。

ようやく苗島神社が”東”白山神社と呼ばれていた意味が分かりました。苗島神社の場所には「東白山神社」、白山古墳の場所に「西白山神社」。苗ヶ島には東西白山神社が祀られていたいたのでした。(苗島神社の東にある「金剛寺」という寺院の御本尊が白山比咩神の本地仏である十一面観音であった事も後から気付く。こちらも行っておくべきだったと後悔。)

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集落センターにある文化財地図。

近距離に二社白山神社が祀られている例はありましたが、この地にはとても篤い白山信仰を感じ、また初めてのパターンなので感動しました。


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伊弉冉大神 【総社町桜ケ丘】

■主祭神 : 菊理比咩神
■創建 : 寛文2年(1659)

JR上越線『群馬総社駅』より北に1キロほど向かった線路沿いに鎮座。吉岡町との境界上にあります。駐車スペース、というか神社前は道が細いので車での参拝は出来ません。

『神社明細帳』より
上野国西群馬郡植野村字西新井

 無格社 白山神社

1、祭神 菊理比咩神
1、由緒 不詳


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神社入り口。
周辺住人が群馬総社駅に向かう途中の抜け道にこの神社を通り抜けています。神社の裏はすぐに吉岡町。

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鳥居には伊弉册大神の文字が。(実際の弉の部分の文字はPCで多分出てこないと思います。)

これを見て地図を作製したのかGoogleマップで見ると「伊非丹大神」となっていますw
特殊な文字を使用しているので仕方ありませんが、結構いい加減な物です。

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拝殿。

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拝殿の中を覗いてみる。

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神社案内板。
白山社伊邪那美大神

国生みの神として伝えられている伊邪那岐・伊邪那美の神は、人々が祖先神・氏孫繁栄の神として信仰してきた神様である。祭神は二神の通弁をつとめた菊理比咩と白山修験の御師によって信仰の対象となった白山比咩神(本地十一面観音)である。この社は社殿の白山大神石宮によると、寛文2年(1659)に鎮守神としてこの地に勧請された事が分かる。また8基の石宮と2基の天神・天満宮の石造物は、この地の民間信仰の明しである。石鳥居の扁額文字は異体字で伊■册大神(いざなみのおおかみ)と読める。

 平成15年3月吉日 総社地区史跡愛好会


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総社町と言えばこけしが有名らしい。

参考 : 『上野国神社明細帳』/丑木幸男 群馬県文化事業振興会 編(2009)

白山神社 【粕川町込皆戸字白山】

■主祭神 : 菊理姫命
■創建 : 不詳(天正18年頃?)

旧勢多郡粕川村。

上毛線『北原駅』より南に700メートルほどの場所に鎮座。「込皆戸集会所」が併設されているので車はそこに駐車させていただきました。

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神社の入り口には神社名碑。旧粕川村の村社。

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かなり年季の入った石鳥居。明和元年(1764)。

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額も歴史を感じます。「白山大権現」とあります。

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拝殿。

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拝殿の中を覗いてみる。

「上野国神社明細帳」より

上野国南勢多郡込皆戸村字白山

 村社 白山神社(無格社から村社へ昭和12年9月18日列格) 

1、祭神 菊理姫命
1、由緒 不詳

「昭和12年10月8日明治39年勅令第96號ニ依リ神饌幣帛料供進神社トシテ指定セラル」


この白山神社については興味深い伝承があります。

1580年(天正18年)、徳川家康の関東入国と共に大胡城に入城してきた徳川家家臣の大名牧野氏には、ライ病に罹った鶴姫という娘がいて、込皆戸に別荘を設けてそこで治療をする事になりました。
鶴姫に従ってきたのが牧野氏家臣の坂本弾兵衛・弾右衛門兄弟でした(後に弟弾右衛門は浅草弾左衛門の支配下に入って、込皆戸を支配する小頭孫三郎を名乗るようになったと言います。)

従者達は鶴姫の病の平癒の為に加賀白山社に祈念して分霊を賜った所、なんと病は完治したそうです。(後に鶴姫は別の病気で亡くなってしまいます。)

志木市の舘氷川神社の頁でも触れましたが、難病に罹り加賀の白山神社に祈念して分霊を賜うエピソードは今戸の白山神社のそれと似通っていますね。弾右衛門の上司にあたる浅草弾左衛門(大分後の時代になりますが)にも子息が病気に罹り加賀白山神社に祈願したエピソードがあります。

これらから、当時白山神社は天然痘やライ病などの難病に対して霊験あらたかであったという事が分かります。

また、この白山神社に古くから伝わる三番叟は鶴姫の霊を慰める為に始められたと言われ、人形は牧野氏の故郷である三河から持って来たものだそうです。

ぐんま地域文化マップ「込皆戸操り人形式三番叟」

後から知ったのですが、既に鶴姫の別荘のあった鶴姫山は現存して無いのですが、鶴姫を供養した「つる姫供養塔」は現存するそうです。これは一度拝見したいです。これは是非また込皆戸に足を運びたいですね。

込皆戸に伝わる、鶴姫伝承を伝える覚書

【伝承】産土白山神社由緒

本村創立の旧家としては坂本弾兵衛同じく弾右衛門と云う二氏有り(此二氏は兄弟なり)(兄弾兵衛わ當時坂本宗十郎之祖先也弟わ当時○○之祖先也)
昔慶長年間大胡の城主牧野駿河之守之従臣にして其當時ハ御城附近に居住せし者○、當地込皆戸に轉居するに附云々有り
駿河之守御息女鶴姫質悪しき病気を生じ故ニ○居さしむる時右兄弟の者を附添いに是に従ふ○姫の補護として爰に轉居せし者也
始め十余名の者相諜り加賀の國石川郡に鎮座する白山社に詣で御神の分霊を乞い受當地に祭祀病気平癒を祈念せし所受納有りて全快に相○○姫君は又々他病の為めに彼の世の人と成り給う。
ほどなく主君駿河の守は命に依り越後長岡ニ○○に成り其時兄弟及び従族の者に申して曰く、○命に依って越後長岡に居を轉ずる故に汝等○して亡き姫の後ひ尚又神霊を尊び・・・
(中略)
鶴姫山 此所ニ鶴姫ノ別荘アリシ故此名アリ白山神社ヨリ約二十丁程東當松林ニ成ッテ居ル

[白山神社]
(前略)
其後父君駿河守ハ上官ノ命ニ依リ越後御国替ヘト成ル際ニ申シテ曰ク汝等此所ニ永久居住シテ亡キ姫の跡吊イヨ又御神徳ノ厚キヲ忘ル事ナク長ク国土安穏和合満永久繁昌ヲ祈念スベシト神殿建立費トシテ金円若干ヲ寄進シ尚其後モ年々春秋ノ二回供米及ヒ神燈料トシテ金品ノ御寄贈有例祭日ハ必ズ参拝有リシト云々



■おまけ
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神社のすぐ近くに会った「集乳所」なる建物の跡地。時代を感じる建物。良い感じです。

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神社から北西500メートル程に「白山」という焼肉屋さんもありましたが、これは関係あるのかな?

参考 :
『上野国神社明細帳』/丑木幸男 群馬県文化事業振興会 編(2009)
『語り伝える込皆戸の生活‐粕川村込皆戸地区・歴史調査報告書』
/東日本部落解放研究所・粕川村込皆戸地区歴史調査団(1994)


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横稲荷 稲蔵

Author:横稲荷 稲蔵
埼玉を拠点に、やみくもに白山菊理媛を追う男。歴史が苦手なくせに神社ブログを立ち上げる身の程知らず。

 
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